法定通常実施権(先使用権 79条・中用権 80条・79条の2・81条・82条・176条)ほうていつうじょうじっしけん
法定通常実施権とは、特許権者の許諾ではなく法律の規定により発生する通常実施権で、先使用による通常実施権(79条)、特許権の移転の登録前の実施による通常実施権(79条の2)、無効審判の請求登録前の実施による通常実施権(80条)、意匠権の存続期間満了後の通常実施権(81条・82条)、再審により回復した特許権についての通常実施権(176条)などです。先使用権とは、特許出願に係る発明の内容を知らないで自ら発明し又は知得して、特許出願の際現に日本国内でその発明の実施である事業又はその準備をしている者が、その発明及び事業の目的の範囲内で有する通常実施権です。
乙が自分で考えた技術で工場を動かしていたところ、同じ発明を甲が先に出願して特許を取ったとします。先願主義なので特許は甲のものですが、甲の出願より前から何も知らずに事業をしていた乙の工場を止めてしまうのは、乙にとって酷ですし、動いている設備を壊すのは社会にとっても損です。そこで特許法は、許諾がなくても法律の規定だけで通常実施権が生まれる場面をいくつか用意しています。先使用権がその代表で、ほかにも特許が無効になって他人の特許が残ったときや再審で特許権が復活したときなど、途中まで正当に実施していた者を守る場面にあります。

先使用権は、発明の内容を知らないで自ら発明し又は知得し、特許出願の際現に日本国内で事業又はその準備をしている者に認められます
79条の要件は、特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をしたこと、又はその発明の内容を知らないでその発明をした者から知得したこと、そして特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしているか、その事業の準備をしていることです。発明を完成した時期が出願人より先であることは要件ではありません。守りたいのは出願の時点で事業に投資していた者で、どちらが先に発明したかを争わせる制度ではないからです。したがって、乙が発明の内容を知らないで自ら発明したときに「乙が甲より後に発明イをしたときは、乙に先使用による通常実施権は認められない」という枝は誤りです。また、発明の内容を知らないという善意は、発明の完成又は知得の経緯についての要件です。出願の際に要るのは事業又はその準備をしていることであって、実施を善意でしていることではないので、「甲が発明イを善意に実施又は準備している必要がある」という枝は誤りです。
- 発明の経緯特許出願に係る発明の内容を知らないで自ら発明したか、知らないで発明した者から知得したことです。発明の先後は問いません
- 時点特許出願の際です。出願後に事業を始めても認められません
- 行為日本国内においてその発明の実施である事業をしているか、その事業の準備をしていることです
- 範囲その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内です
事業の準備は即時実施の意図が客観的に認められる程度を要し、銀行への資金借入れの申込みだけでは足りません
ウォーキングビーム炉事件は、「事業の準備」とは、その発明について即時実施の意図を有しており、かつその即時実施の意図が客観的に認識される態様・程度において表明されていることをいうとしました。頭の中で計画しているだけでは、出願の時点で保護に値する投資があったとは言えないからです。実施に必要な機械を買うために「銀行に対し資金借入れの申込みを行っている状態であった」程度では、まだ即時実施の意図が客観的に表明されたとは言えないので、この申込みは「事業の準備」に該当しないという枝は正しいです。一方、製品の設計を終えて部品の発注や工場の建設に入っていれば、準備に当たります。

先使用権の範囲は発明及び事業の目的の範囲内で、製造規模の拡大は許され、専用実施権者にも対抗でき、対価の規定はありません
先使用権は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内で認められます。範囲を画するのは発明と事業の目的なので、出願の際の実施形式そのものに固定されるわけではなく、同じ事業の中で製造規模を広げることや、発明の同一性を失わない範囲で実施形式を変えることは許されます。出願の際の「製造規模をその発明及び事業の目的の範囲内で拡大することは許される」という枝は正しいです。先使用権は通常実施権なので99条により、その発生後に特許権や専用実施権を取得した者に対しても効力を有します。専用実施権者乙に対して「丁の通常実施権は、乙に対してもその効力を有する」という枝は正しいです。79条には特許権者が対価を受ける権利の定めがありません。先使用者は特許権者の発明にただ乗りしたのではなく自分の投資で事業を始めた者だからで、35条1項の職務発明による通常実施権も同じです。これに対して79条の2第2項・80条2項・82条2項には相当の対価の定めがあるので、そのように対比した枝は正しいです。先使用権者は特許権の効力を争う利益を持つ利害関係人なので、123条2項により先使用による「通常実施権を有する者であっても、請求することができる」という枝は正しいです。出願公開後の警告を受けていても、先使用権を有する者は特許権に対抗できる地位にあるので、65条1項の「補償金を支払う義務を負わないことがある」という枝は正しいです。なお、訂正審判の請求や訂正の請求に承諾が要るのは現行127条では専用実施権者と質権者だけで、先使用権者の「承諾を得た場合に限り、訂正審判を請求することができる」という枝も、80条1項の通常実施権者と質権者の「両者の承諾を得た場合に限り、特許無効審判において訂正の請求をすることができる」という枝も誤りです(これらの枝の当時の127条は35条1項・77条4項・78条1項の通常実施権者の承諾を要しましたが、令和3年改正で通常実施権者は外れました)。

中用権は、特許を無効にした場合の原特許権者等が無効理由を知らないで実施していたときに、残った特許権について認められ、対価が要ります
同一の発明について二以上の特許があってその一つを無効にした場合の原特許権者、特許を無効にして正当権利者に特許をした場合の原特許権者、及びこれらの場合に無効審判の請求の登録の際現に無効にした特許についての専用実施権者・通常実施権者は、無効審判の請求の登録前に特許が無効理由に該当することを知らないで日本国内で発明の実施である事業又はその準備をしていれば、その発明及び事業の目的の範囲内で、残った特許権又はその際現に存する専用実施権について通常実施権を有します(80条1項)。自分の特許を信じて投資した者を守る趣旨で、特許権者等は相当の対価を受ける権利を有します(80条2項)。実用新案法20条は、特許を無効にした場合の原特許権者等に実用新案権についての通常実施権を認める規定です。反対に、実用新案登録を無効にした場合の原実用新案権者に特許権についての通常実施権を認める規定はありません。そのため、実用新案登録を無効にしたときに原実用新案権者が「その実用新案登録を無効にした場合における特許権又はその際現に存する専用実施権について通常実施権を有する」という枝は誤りです。

79条の2・81条・82条・176条も途中まで正当に実施していた者を守る規定で、対価の有無が条文ごとに違います
79条の2は、冒認・共同出願違反を理由とする74条1項の移転請求で特許権が真の権利者に移った場合に、移転の登録の際現に特許権・専用実施権・通常実施権を有していた者が、移転の登録前にその事情を知らないで事業又はその準備をしていれば通常実施権を有するとし、特許権者は相当の対価を受けます(同条2項)。81条・82条は、特許出願の日前又は同日の意匠登録出願に係る意匠権が特許権と抵触する場合に、意匠権の存続期間が満了したとき、原意匠権者(81条)とその意匠権についての専用実施権者・通常実施権者(82条)に通常実施権を認め、82条だけに対価の定めがあります。176条は、取消し又は無効にした特許権が再審により回復したときなどに、取消決定又は審決の確定後再審の請求の登録前に善意に日本国内で事業又はその準備をしていた者に通常実施権を認めます。無効になった以上は自由に実施できると信じた者を守るためで、対価の定めはありません。そのため、176条の通常実施権について「相当の対価を受ける権利を有する旨の規定はない」という枝は正しく、善意に製造方法を実施していた者が「特許権の回復後も引き続いて当該万年筆を製造することができる場合がある」という枝も正しいです。回復前に善意に輸入・生産・取得した物については、175条により回復した特許権の効力自体が及びません。「善意に輸入し、又は日本国内において生産し、若しくは取得した当該物には、及ばない」という枝は正しいです。
法定通常実施権と対価
| 条文 | だれに | 対価 |
|---|---|---|
| 35条1項(職務発明) | 使用者等です | ありません |
| 79条(先使用) | 出願の際現に事業又は準備をしていた者です | ありません |
| 79条の2(移転の登録前の実施) | 移転の登録の際の特許権者・専用実施権者・通常実施権者です | 相当の対価があります |
| 80条(無効審判の請求登録前の実施) | 原特許権者とその実施権者です | 相当の対価があります |
| 81条・82条(意匠権の存続期間満了後) | 原意匠権者(81条)とその実施権者(82条)です | 82条だけ相当の対価があります |
| 176条(再審による回復前の実施) | 確定後再審の請求の登録前に善意に事業又は準備をしていた者です | ありません |
特許法79条特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。
特許法80条2項当該特許権者又は専用実施権者は、前項の規定により通常実施権を有する者から相当の対価を受ける権利を有する。
試験ではこう問われる
- 先使用権に発明の先後は関係ない。「乙が甲より後に発明イをしたときは、乙に先使用による通常実施権は認められない」という枝は誤り
- 善意(発明の内容を知らないこと)は発明・知得の経緯の要件で、出願の際に要るのは事業又はその準備。「善意に実施又は準備している必要がある」という枝は誤り
- 事業の準備は即時実施の意図の客観的な表明が要る。銀行への資金借入れの申込みは「事業の準備」に該当しない
- 範囲は発明及び事業の目的の範囲内で、製造規模の拡大は許される。専用実施権者にも対抗できる(99条)
- 対価の規定は79条の2・80条・82条にあり、35条・79条・176条にはない
- 先使用権者は利害関係人として無効審判を請求できる。出願公開後の警告を受けても補償金を支払う義務を負わないことがある。訂正審判・訂正の請求に先使用権者の承諾は要らない(現行127条は専用実施権者・質権者だけ)
- 中用権(80条)は特許を無効にした場合の原特許権者等に残った特許権について認める。実用新案登録を無効にした場合の原実用新案権者に特許権についての通常実施権を認める規定はない
- 176条は再審回復前の善意の実施者に通常実施権を認め、175条は回復前に善意に輸入・生産・取得した物に効力を及ぼさない
この用語が問われた枝
甲は発明イをし、発明イに係る特許出願Aをした。この場合、乙が特許出願Aに係る発明イの内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願Aに係る発明イの内容を知らないでその発明をした者から知得した場合であっても、乙が甲より後に発明イをしたときは、乙に先使用による通常実施権は認められない。
甲が自ら考えた発明イについて、乙の特許権Aについて先使用による通常実施権が認められるためには、乙の特許権Aに係る特許出願の際現に日本国内において、甲が発明イを善意に実施又は準備している必要がある。
乙は、甲による発明イの内容を知らずに甲と同じ発明イをし、発明イを実施する事業を計画した。甲が発明イに係る特許出願をしたとき、乙は、発明イの実施品である製品Xの製造販売事業を行うにあたり必要となる機械を購入する目的で、銀行に対し資金借入れの申込みを行っている状態であった。乙が製品Xの製造販売事業を開始した後、甲による発明イに係る出願は特許権として登録された。この場合、上記申込みは特許法第79条(先使用による通常実施権)における「事業の準備」に該当しない。
甲による物の発明の特許権について、乙が先使用による通常実施権を有する場合、その物を製造する乙の事業について、甲の出願の際現に実施していたその物の製造規模をその発明及び事業の目的の範囲内で拡大することは許される。
枝ごとの解説と条文は肢別演習で読めます。
この用語で問われた枝を、解説つきでそのまま解けます。